ふせんのたば

付箋にメモしたものの、どこかへいっちゃった!というようなちょっとしたことを残していきます。

自分で自分を否定しがちなルーツの一つの心当たりの話

ほんのちょっとうまくいかないだけで、あー私はなんてだめなの…

ただ成果の不備や改善点を指摘されただけなのに、自分を否定された気持ちになって、指摘の内容そっちのけで悲しくなる。浸ってしまう。

この歳になってこんなこともできないなんて。自分はほんとにだめなやつ。能力もないくせに普段の努力もできず、レベルアップする努力すらしていない。せめて努力していたら…できる自分であれば…

 

ずーっと自分を否定して落ち込むような思考を繰り返す。もしかして落ち込んでる自分に酔ってる?うわー、そんな自分もダサい。イタい。

けど抜け出せない。

あれこれうまくいったり憧れる時間の使い方をできたときはあんなに心が軽いのに、そんな瞬間は本当の自分じゃないみたい。うまくいってるときだけご機嫌で、ゲンキンなやつ。

 

と、まーーーーあ、なんて嫌な私の内側。

それ自体は気分のいいとき、前向きな気持ちのときにいい方向へ癖付けすることにして、今回はちょこちょこ思い出すこの思考の源流の心当たりについてメモ。

 

中学生の頃、弱小バスケ部で頑張っていた。部内ではまぁまぁ動けたほうだと思う。顧問がバスケやる人に変わってからは、練習も厳しくなって、がむしゃらに取り組んでいた。

バスケは楽しかったし、公式戦で一勝くらいしたかった。割と向上心は強い方で、自分なりの努力はしていた。はず。

顧問が変わってからは、「部誌」なるものができた。その日の練習内容と振り返りを書く、部活の日記みたいなもので、入れ込んでいた私は無事にも熱が入る。

自然な流れで、「今日はこれをした。ここは良かったけど、ここがまだ足りないから次はこうしたいと思う」って内容を書いたんだと思う。

ある時顧問から、みんなの前で、部誌のことを褒められた。

「ただ良かった、だけではなく、課題もしっかり書いている」

わざわざみんなの前で言ったということは、そういう書き方をしていたのは少数だったのだと思う。

多分このとき。

私は手放しでOKを出してはだめなんだとインプットしたんだと思う。

当時は、褒められてちょっと恥ずかしかっただけ。でも今思えば、、、という感じ。いいところ悪いところ両方捉えるのはいいことのはず。でもいつの間にか、ここは足りないから頑張ろうのマインドから、ここが足りないからダメだってマインドに変わっていったんだと思う。

受験が始まれば苦手を克服するためにできてないところも探す。数学がずっと苦手だった。あまりにできなくて、他の教科はそれなりにできたから余計に、他はできる。でも数学ができない。これではダメだ。になっていった。

できないから、だめだから頑張らなくちゃ。

そんなふうに思って、頑張れてたうちは良かったんだね。向上の原動力になってたから。頑張れなくなってから、「それなり」で過ごすことを覚えてから、だめだと思う気持ちが行動にならくなった。否定する癖だけ残って強化された。

総合すると、生きてきた時間の積み重ねなんだけど、大きなきっかけはあれだったなって思い当たった話。

改善点を見つけたら、動ける自分になりたいぜ。